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☆馬券道場☆【ゴドルフィンアラビアン!!】

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生涯

◆体高は15ハンド(約152.4 cm)説が有力だが、14.2ハンド(144.3 cm)という記述も見られる。品種や生地についてもはっきりしたことは分からず、シリアやイエメン産といわれていることと体の特徴から一般的にはアラブ種とされているが、ジェネラルスタッドブックにはバルブ種と記載されており北アフリカ産、モロッコ産との説もある。ゴドルフィンバルブという呼び名はバルブ説に由来する。 産まれた当初の名はシャムだったとされることが多い。その後北アフリカの現チュニジアにあるチュニスからフランスに渡った(モロッコの皇帝が献上したとも)。アラブの名馬でもあったシャムは植民地からの献上品の1つとしてフランス王ルイ15世に献上された、しかし長旅で痩せこけたシャムを国王は気に入らなかったらしく、その後イギリス人のエドワード・コークの手に渡った。この経緯には謎が多いが、一説にはパリで散水車を曳いていて、たまたま通りかかったコークの目に留まり買われたとされる。 イギリスに渡った後は、エドワード・コークの元で主に乗馬、当て馬として使われていたが、ホブゴブリン(ダーレーアラビアンの孫)がロクサナとの種付けを嫌がったため代役としてゴドルフィンアラビアンを代わりに種付し、名馬ラスとケードが生まれた。ホブゴブリンとロクサナをめぐり格闘し勝ち取った話も伝わっている(両者共に間違っている可能性もある)。どちらにせよ最初の交配でフライングチルダーズ以来の名馬といわれたラスが生まれ、次に生まれたケードは産駒にマッチェムを輩出し後世に血を残した。1733年にはコークが死亡したためロジャー・ウイリアムズの手に渡ったが、最終的にはゴドルフィン伯爵が購入した(資料により前後する)。 ラスとケードを出した結果、ゴドルフィンアラビアンはその後種牡馬として重用されることとなり、生涯におよそ90頭の産駒を残した。父方直系子孫は繁栄していないが現在でも残っている。